知り行う:文化は認知に影響を与え、認知で行動が決定される
Time:2022-11-02 15:33:00    From:
新華錦の企業文化の核となる価値はより優れた人になり、より意義のある事を体験することを知って行動に移行し、常に自分自身を超え、誠実かつ感謝の気持ちを持ちながら、昂揚かつ上向きの浩然とした気風を自覚し 、勤勉でこころやさしい文明時代のモデルになる。
文化は認知に影響を与え、認知で行動が決定される。新華錦の企業文化の核となる価値はより優れた人になり、より意義のある事を体験することを知って行動に移行し、常に自分自身を超え、常に誠実かつ感謝の気持ちを持ちながら、昂揚かつ上向きの浩然とした気風を自覚して、勤勉でこころやさしい文明時代のモデルになる。

 
◎夢のある人になろう

私たちは毎日繰り返すことをし、夢が異なることによって、多くの人は「積み上げること」をするが、ごく一部の人は「立てること」をする。夢は人々が前進する原動力であり、凡庸を脱する踏み台である。夢を持つ人は、明確な目標と方向を持っている。彼たちは現状に甘んじず、永遠に前進する道を歩んでいる。
「忘れぬことは心に響く」という言葉がある。「経営の神様」と呼ばれる稲盛和夫は、「内的に求めてないものが近づいてこない」という潜在意識の働きを強調している。ごく普通の人間でも、潜在意識の力を働かせれば、奇跡を起こすことができると強調していた。火のように燃えている熱い願望があれば、それは潜在意識にまで浸透し、無限の力とチャンスをもたらしてくれる。
簡単に言えば、期待すれば、得ることができるということである。自己意識が強くなると、無感覚にならず混乱せず愛するものを熱心に探し求め、追求するだろう。期待以上に得ることができるだろう。
夢は時間とともに変わっていくものである。最初は、夢は単純なものにすぎないが、種のように大木までに成長すると、もう一度出発点に立ったように、目の前に遠くへ長く伸びる道がみえる。自分自身が成長すると、未来に見える景色も変わってくる。成長するたびに、見る景色は異なり、考え方や視点も異なっていく。
夢を実現することは、潜在能力を発揮することである。素敵な人生は、「小さな目標」から始めることではないか。
 
◎努力する人になろう


60 歳以上の高齢者を対象に「この人生で、後悔したことがありますか?」という質問を設けたアンケート調査があった。回答者のなか、92% の人は若い頃にろくろく働かずに後悔し、何もできなかったと答えた。多くの人が金銭的に豊かになってないことを後悔しないが、やりたいことに最善を尽くしていないことに残念に思うわけである。
思ったような結果がでないときに惜しいと考えがちで、実に、人生の一番の遺憾は、あきらめることである。「必死にやってきたが、やっぱりダメだった」より、
「できるはずなのに、できなかった」のほうがより心痛くなる。
「人事を尽くして天命に聴す」という中国の古いことわざがある。しかし、「天命に聴す」しか覚えない人が多くいる。少しの挫折、痛み、またはトラブルに遭遇したとき、「できない」として降伏してしまう。実は、問題や困難に直面し、
「人事を尽す(最善を尽くす)」こそがやるべきことである。どんな結果ができるかは誰かが左右できるわけではないが、後悔を残さない。
下り坂は歩きやすいであるが、幸せな生活を送り、事業を成功させたいならたゆまぬ努力を払い、不平を言わないで、あきらめないことにある。「点滴穿石」とは、小さい力でも粘り強く積み重なれば強大な力になることである。
夢とはコツコツと追求するもので、希望があるから続けるのではなく、続けるから希望があるのである。一度だけの人生であるから、夢の実現へ、今から始めることではないか。
 
◎自分を超える勇気を持った人になろう

目標と夢を達成するためには、不屈の信念を持っているだけでなく、それにマッチする悟りと能力を持つ必要がある。常に自分自身を反省しながら改善し、そして過去の自分を超えなければならない。
自分を超越することの本質は、ルール、制限、固有のものを破ることである。人は生まれて知ることではなく、学んで、成長することである。自ら進んで、より強い力、より高い知性、より深い認知、より完成された人格を得てこそ、超越を果たする。そうしているうちに、人生の可能性が見えてくる。
自分を超えるには、自分の欠点を常にみつけ、それに立ち向かう必要がある。誰も長所と短所を持ち、完璧な人が誰もいない。常に謙虚な態度を保ち、自分自身の限界を発見し、まずは自分自身の中から原因を探さなければない。自ら進んで発見した不足なら、心の奥底から強い願望が湧き上がって速やかに行動をとることになり、且つその効果が大きい。
自分を超えることには、学び続ける必要がある。継続的な学習を通じ、常に自分自身の認知の限界を打ち破っていく。知識を学ぶことに加えて、学習力と認知力を向上させることがより重要である。こうしてこそ、さまざまな環境であらゆる種類の情報をすばやく取得し、あらゆる種類の知識を活用して、主体的に考え、反省し、革新的な態度と思考で問題を処理することができる。
自分を超えるためには、自制が必要である。自分を超えるには、自分をコントロールできる必要がある。真に自分を超越するためには、反省と実践を通じ精神的に更なる高みへ進化しなければならない。なおさら 敵対的、閉鎖的、幼稚かつ傲慢な自己意識を完全に取り除く必要がある。尊厳、地位、富、権力に直面して、自分自身の視野、度胸、精神がさらに進化した場合、自分を超えることになる。進みを知り、後退を知り、行きを知り、止まりを知るわけである。ほどよく進み、後退し、行き、止まるなら、人生を自由自在に生きることができる。
自己を乗り越えることは、過程であり結果であり、繭から蝶へと変わる瞬間であり、長い道のりである。近代中国の学者、思想家である胡適は「一寸進でもそれなりの歓喜がある」と言ったことがある。少しずつの量的変化があって質的変化へ転化し、自分を乗り越えるきっかけが見えてくる。
 
◎修身養性の人になろう

「修身斉家治国平天下(自分の身を修め、家庭をととのえ、国家を治め、天下を平らかにすること)」という古語がある。修身養性(心身ともを養うこと)は人生の領域の第 1 歩で、経験と知恵が増して悟る人生の道理で、自分や人をやさしく取り扱う領域で、一生かかて身につけるものである。
修身養性はまず心を養うことである。良い心構えとは、危険に直面しても落ち着いて対応する姿勢で、善意を持って、見返りに期待しない美徳で、キャリアを達成するための自己成長で、人々を誠実に扱い、理性をもって人々を説得し、上司のいいなりにならず、部下を威圧しない品性で、淡泊にあらざれば、もって志を明らかにすることなく、寧静にあらざれば、もって遠きを致すなしの智慧で、これこそが精神的にさらに進化する領域である。
修身養性は低姿勢で控えめになることである。高い基準で事を成し、控えめに振舞うを強調し、「中庸」には、「広大でしかも精微を尽く」ということばがあり、控えめに行動することが芳しい。
勤倹節約は意志を鍛え、情操を陶冶する上効果的な方法である。一銭一銭、一枚一枚、一ワット一ワットの電気を節約する。小さなことを積み重ねて大きな事になる。倹約は外面的な行為であるが、その人の内面的な品性を反映しているわけである。勤勉して富を創造し、倹約してこそ富を大事に取り扱うことができる。倹約してこそ、富が増し、社会が発展し進歩していく。浪費や贅沢が腐敗すれば、企業はどんどん衰退していくに違いない。
チームワークは教養を具現化したものである。持ち場や職責の違いだけで、地位の上と下はない。企業の発展のために、株主や社員全員の利益のために仕事をし、いくら分業しても、仕事には常に交差点と重複があり、そして、多くの仕事は全体性と一貫性を持っているわけで、コミュニケーションと協力を強化してこそ、仕事がうまくいくわけである。分業と協業は一つの事物の二つの側面であり、互いに補い合うものであり、対立するものではない。
分業がはっきりし、仕事が効果的にできる。協業がなければ分業は成り立たず、効率的な協業を基盤とする分業こそが、分業の真の目的である。職責内の仕事を成し、協力して職責が交差してあるいは明確でない仕事を成して、より実り豊かな仕事をなり遂げる。大局の出発から全体の利益の最大化を追求し、包容と良好な心理状態で分業と協業を認識し実践して、これも教養を具現化したことである。
ということがあって、業績がみんなで創ったもので、一人ひとりの貢献を尊重し、利他的で、箇の才能とチームの役割を正しく扱うことが可能である。新華錦が大海だとすれば、社員一人一人が海の中一滴の海水である。海をなくして、誰でも存在しなくなる。ひとりのパワーと影響は限られ、一時的で、チーム全体に依存して、制度と全体のメカニズムがもたらす競争的優位に依存してこそより確実なものになり、持続的につながる。
日々の仕事の中で、皆が正直に意見を述べ、知恵を出し合い、知恵を出し合うために、思う存分にコミュニケーションとディベートを行い、困難を皆が力を合わせて解決して、大きな成果だけでなく、少しの上達でも心から喜ぶ社風を醸成していた。
十分な修養があってこそ、より高い領域で、良心、恵心、徳心、愛心をもって社員全員、取引先や協力パートナーを取り扱うことができる。認められ、尊重される企業は、大いに発展し、経営基盤がいっそう確固たるものになる。
 
◎感謝の気持ちを持つ人になろう

草は地の恩を感じてこそ、青々になり、花は雨の恩を感じてこそ、艶やかになり、人に恩を感じてこそ、強くなり、感恩とは精神で、知恵で、領域である。親、家族、友人、生活はもちろんのことで、逆境やライバルへ感謝の気持ちを持つべきである。感恩は善良、慈しみ、愛、調和の源である。永遠に感恩の気持ちをもつことは、精神的にさらなる高みへの進化である。
与えられたことに感謝するなら、与えよ。自然も、私たちの社会も、与えられるものが増えれば増えるほど、リターンも増えるものである。感謝の気持ちをもつ人は、善心を続けて、最大限の努力をして得たものに報いると同時に、大きな報いが与えられる。
感謝の気持ちをもつ人は、寛容な心を持ち、なぜなら、寛容とは与えるより高い領域で、精神や魂の成長への鍵でもある。人に寛容とともに自分にも寛容になってほしい。
心に恩を感じる気持ちは最大の善因で、新華錦の社員としてもつべき品性である。お金にせよ、製品にせよ、富みにせよ、感謝の気持ちをこめれば、働いてくれて、成功、幸せ、喜びをもたらしてくれるわけである。新華錦では、社員一人ひとりが人、会社、取引先、パートナー、ライバル、社会、国に対して恩を感じる気持ちがあってはじめて大いなる事業を遂げてきたわけで、これもまさしく新華錦の成功ナウハウだといえるだろう。
社会各界や各級の指導者の方々、顧客の方々、ライバルとパートナーの方々、社員の皆さんには心をこめて感謝の意を表する。
イギリスの作家サクレー氏は「生活は鏡で、笑う人に笑ってくれる。泣く人に泣いてくれる」と述べたことがある。幸福感は、経済社会条件で決まるのではなく、感謝の気持ちがあるかどうかで決まるのである。人にも仕事にも世界にもいつも笑顔で感謝の気持ちを持ち幸福な時間で有意義な人生を送ってほしい。